恢徳堂のヨーシャさんのブログ

どうして我々はコッコロちゃんをママにしてしまったのか

December 29, 2020

はじめに

この記事はアスタルテゆるふわアドベントカレンダー Advent Calendar 2020の12月20日分の記事になります。大遅刻、申し訳ありません。

エルフ萌えの私がコッコロちゃんを説明する

コッコロちゃんは、プリンセスコネクト!Re:Diveというソーシャルゲームに登場する、 11歳 のエルフの女の子です。彼女は、主人公を「主さま」と呼び、献身的に仕えることを最優先しています。このゲームの主人公はとある出来事をきっかけに記憶を失っており、文字が読めなかったり紙幣を口に入れたりと彼女ちゃんをして「赤ちゃんみたい」と言わしめるほどに幼児退行してしまっていますが、そんな主人公を彼女は母親のように献身的に支えています。

さて、このゲームには「プリコネママ四天王」と呼ばれてしまうぐらい母性を感じる女性が4人登場するのですが、この4人1がなぜか全員エルフなのです。しかし、常に一緒にいるという点ではコッコロちゃんが関わりの強い女性だと言えるでしょう。

このように、主人公を献身的に支えるコッコロちゃんなのですが、いったん回復した主人公が二度目に幼児退行を起こしてしまった際に彼女はとんでもない台詞を言うことになるのです。

「はい、主さま、ママですよ」

このことに関しては、コッコロちゃんが「ママ」になることについてニコニコニュースに掲載された「中の人」伊藤美来のインタビュー記事が掲載されるほどでした。

なお、プリンセスコネクト!Re:Diveはソードアート・オンライン同様に「オンラインゲームの中の世界」が舞台の作品なのですが、プリンセスコネクト!Re:Diveではオンラインゲームの中の世界が「現実の世界」と認識され、実際の現実の世界は「夢の世界」と呼ばれています。コッコロちゃんはこの「夢の世界」とゲームの世界を行き来できる存在として描かれており、「夢の世界」において父親が開発している人工知能の話し相手をしていた結果、主人公のような「主さま」が現れることを期待しており、主人公と出会ったときに彼を自分の仕えるべき「主さま」と認識してしまったようなのです。

コッコロちゃんはエルフということもあり、私個人に言わせてみれば、実に献身的で健気かわいい女の子なわけです。ただし、個人的には11歳の女の子が年上の男性を「主さま」とし、献身的に仕えているところには違和感を覚えてしまいます。

我々オタクはなぜコッコロちゃんにバブみを覚えるのか

さて、コッコロちゃんが「ママ」になった経緯は置いておいて、なぜ彼女が「ママ」として見られるようになってしまったのでしょうか考えてみたいと思います。

処女厨とロリコンの問題を考える

一つ目の理由として考えられるのが、オタクが抱く「『一途』で『清らかな』女性」への憧れであると思っています。学生の時期に学生同士のコミュニケーションから疎外され、コミュニケーション能力を発達させるために重要なコミュニケーション経験が少ないままオタクになってしまった人2にとって、「一途」で「清らか」な女性は憧れの存在であると思います。かつては「処女厨」と呼ばれる、ヒロインが「処女」である事にこだわる人々3がいましたが、彼らが処女に惹かれた理由はコミュニケーションに自信が無いため、ヒロインが経験豊富であることを嫌悪しヒロインを独占したいという思いがあったのだと思います。一時期流行ったメイドブームもその延長線上にあるのかもしれません。

では、なぜこれが「ロリコン」につながっていくのでしょうか。これには性の若年化によって学生時代に性を経験する人も出てきており、相手が過去に経験した男性と自分とを比較してしまうところが大きいのかもしれません。また、コミュニケーションに対する自信がないことも相まって、コミュニケーション能力で優位に立てるであろう幼い子どもをターゲットにするという心理があるのでしょう。これは、我々オタクが一般人に奇異な目で見られ、不快感を与えてしまう要因の一つだと思っています。

オタクの「敗北感」を癒やす母性

前に述べた通り、オタクはコミュニケーションに自信がない存在であると言えます。そんな彼らにとって、無条件に受け入れてもらえる母性を持つ女性は癒やしの存在であると思えます。近年のオタクの流行として恋人や片思いの相手が他の男性と関係を持ってしまう「寝取られ」ものがありますが、この一因としてオタクの孤立化が挙げられると思っています。オタクは、長年コミュニケーションから阻害された存在です。さらに、宮崎勤事件以後、オタクは女性や子どもに害を与える危険な存在と認識されてきました。コミュニケーションの疎外に苦しむオタクたちにとって、受け入れてもらえるというだけでも嬉しいのです。それを考えると、コッコロちゃんはオタクの琴線に触れるように作られたキャラなのだと思っています。ですが、このままコッコロちゃんに「萌えて」いてもなんにもならない、と思うのです。

終わりに

個人的に、いまのオタクは疎外を深めてしまっているように思えます。キモいと思われることが、より一層の女性嫌悪として現れ、オタクとフェミニズムの対立がいっそう深くなっていってしまっていると思います。これについては、次の障害の社会モデルからオタクとフェミニズムの対立を考えるの記事に続きを書きたいと思います。

  1. うちひとりは主人公の幼なじみで、どちらかというと対等な関係だと思います。 

  2. とりわけ男性オタクを主眼として書いています。 

  3. 私もその気があったことは認め、反省しています。