就職氷河期から見た「輪るピングドラム」
はじめに
この記事はアスタルテゆるふわアドベントカレンダー Advent Calendar 2019の11日目の記事になります。
お前誰よ?
はじめまして。昨年のカレンダーに投稿されたまどマギのアンサー記事を書いたことでインスタンスに参加してみようと思い立ったヨーシャことIosif Takakuraです。普段はエンジニアをしながら物書き1をしたり写真を撮ったりしています。
前置き
さて、2011年を振り返ってみると、人生の一大転機と言える事がかなり重なった1年でした。東日本大震災といい、長い無職生活にピリオドが打たれた年でもあり、「魔法少女まどか☆マギカ」や「輪るピングドラム」といった私の心に大きな影響を与えたオリジナルアニメが放映された年でもありました。それだけではなく、当時プレイしていた「エンドブレイカー!」2というゲームでも「社会的に生まれてくるべきではなかった子ども」3が自らの生命の価値を実感し、この世に生きる者として成長をしていくきっかけを作った年でもありました。
そのような中で「輪るピングドラム」について論じてみると、なんとなく日本の抱えている何かが見えてきそうな気がするのです。
「きっと何者にもなれない」とはどういうことなのか
「輪るピングドラム」でまず最初に思い出される台詞といえば、「生存戦略」と「きっと何者にもなれないお前達に告げる」だと思います。ピクトグラムで幾原ワールド全開の空間に謎のペンギン帽をかぶった陽毬ちゃんが露出度の高いコスチュームを着て登場するというインパクトのある描写に驚いたものでした。その中で「きっと何者にもなれない」という言葉が私には引っかかったのです。
必要とされる、ということ
ところで、作中には「こどもブロイラー」という謎の施設があります。ここには社会から存在価値を認められなかった子ども達が「透明な存在」にされて消えてしまうという描写がありましたが、陽毬は晶馬にこの施設から救い出されています。施設から救い出されたのは陽毬だけではありません。多蕗やゆりといった大人達も、親から必要とされず、「こどもブロイラー」送りにされてしまったところを桃果に救われた過去があります。
さて、必要とされるということで引っかかる事件があります。それは2016年に神奈川県相模原市の障害者施設で、施設の元職員が「障害者は価値を生まない存在であるから社会から抹殺すべきだ」という動機で当時戦後最悪の大量殺人事件を引き起こしてしまった事件です。この事件にはナチスなどで称賛された優生思想の影響があるとされています。
この事件は、いかにこの現代日本において他人から必要とされることが存在意義があるかのように思い込まれていることの証左だと思います。さて、私に話を戻してみると私は主人公と同じ名字を持って1981年に生まれ、就職氷河期を生き抜いてきました。大学院へ進学したのはよかったのですが進路選択のタイミングを逸して新卒採用をあきらめざるを得ませんでした。そんな就職氷河期の生きづらさを味わってきたわけです。さらに、社会に出た後の2007年に私は発達障害であることがわかります。2009年1月に会社都合で失職してから2年間無職を続けていましたが、障害者手帳を取得して何社か紆余曲折をした後に今の会社に入り、なんとか働けるようになりました。そんないろいろな紆余曲折を経て今の私があるわけです。
運命の果実をみんなで食べる方法
そんな私が大切にしているのは「やさしさ」です。近年は憎み合いが数多く見られて食傷気味4なのですが、相手を赦し、受け入れる事が重要ではないでしょうか。
私はまだまだうまく信仰生活を送れていませんが、一応は正教会の洗礼を受けたクリスチャンです。だからこそ、隣人愛と赦しの分かち合いが大切なのだと思っています。
だからこそ、この劇中の台詞が響いてきます。
僕の愛も、君の罰も、すべて分けあうんだ。
私は、こうすれば憎しみを乗り越え、共に手をとりあって生きていけると思っています。楽観的?多分その通りでしょう。でも、世の中には環境問題や貧困問題のような解決しなければいけない問題5が山のようにあります。しかも、一つの問題を解決すればそれで終わりではないのです。みんなが愛と知恵をもって、全ての問題に取り組んでいく必要があります。我々人類は多くの危機と苦難を乗り越えてきましたが、今まさに憎しみを乗り越えてまとまらなければ未来はないと思います。
終わりに
と、大風呂敷を広げてしまいましたが……。
こんな私でよければ、よろしくお願いいたします。