恢徳堂のヨーシャさんのブログ

「完璧」など人間には無理であるということ

December 19, 2018

はじめに

この記事は、自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2018と、トミーウォーカー Advent Calendar 2018の12月19日分の記事です。

UI変更には賛美両論ありますが……

最近、株式会社トミーウォーカーの新作プレイバイウェブ、第六猟兵がスタートしました。
僭越ながら私もなぜかマスターの末席に加わっていたりします。
トミーウォーカーのPBWは使いやすいUIということで人気を集めていましたが、今回のUIの変更に関しては戸惑う人も多く、さらにサーバー面やプログラムなどの不具合もあったようで、大荒れのスタート状態になりました。
中には、けなすなどひどいことを言う人もおり、それに対して落ち込んでしまう人もタイムライン上に現れました。
なお、私はこんな風にとらえています。
以下のツイートはPBW方面での私のTwitterアカウントで、私の考えをまとめた物です。

完璧な物は神様にしか造れない

さて、前から私のブログを見ている人はわかると思いますが、私は一応日本正教会に属するクリスチャンです。
(まあ、いろいろとゆるくやってるところはあるんですけどね)
それもあって、「完璧な」お方は神様しかいないと思っています。
我々人間など、「完璧」に近づくことはできても、絶対に「完璧」になれない存在なわけです。
だから、我々人間や、その人間が作りしものには、どこかしらの「欠点」があるものです。

しかし、我々人間を、神様は神様のかたち(神の像)と、神様の似姿(神の肖)を持って作られた聖書には書いてあります。
これは、正教会では「神の像」は「神に近づくための力や可能性や出発点」、「神の肖」は「神の像の実現や完成」を示しているとされます。
アダムとイヴが禁断の果実を食べたとき、神の肖は失われたものの、神の像は壊れてしまいつつも残っていて、神様との交わりを回復することによって人間は「神様に似て」いき、終わり無く成長し発展していくと正教会では考えられています。
ま、人間って、永眠する間際まで限り無く成長できる存在なわけです。
人間も、人間が作る「もの」も、決して完璧な物にはならないとはいえ、完璧に近づけることはできるってわけです。
だから、我々人間は永遠に「カイゼン」を続ける限り、「だめ」だからって落ち込まなくてもよいと思います。
きっと、みんな、うまくいくんですから。

我々はエンドブレイカーじゃない。

株式会社トミーウォーカーの運営していたPBWの中に、エンドブレイカー!というゲームがありました。
プレイヤーは「エンドブレイカー」という、相手の瞳を見ることでその相手が迎える「エンディング」を見る能力を持つ人になります。
このゲームにおける「エンディング」とは、数週間後にその人に起こる「劇的な変化」の事なのですが、要するに、エンドブレイカーとは相手の未来を見定め、変えようと思えば相手の「運命を変えられる」存在なわけです。
私は本職がシステムエンジニアなので、この能力があれば相手の出してくる仕様変更がわかって、ちゃんとそれに対応できるシステムを組めるのにって思ってしまうことがあるわけです。

完璧な物を造れなくても……

でも、エンドブレイカーの能力は私にはありません。
つまり、未来は見えないって事です。
しかも、前にも述べたとおり、私は人間ですから、「完璧」なものは造れないわけです。
私にも、「失敗作」を作ってしまうことはよくあるわけです。

だけど、私は人間なので、「神の像」と「神の肖」があります。
私が作るものや、私自身は完璧にはなり得ませんが、「完璧に近づけていくこと」はできるわけです。
これは、他の人も同じです。
だからこそ、誰かが作ったものが自分の要望をすべて満たして無くとも、長い目で、暖かく見守ってあげてください。
また、時には、共に「カイゼン」していくのもありだと考えています。
そうすれば、きっと、いろいろよくしていけるのではないかと思います。

そして、私はこの言葉を口をすっぱくして言い続けようと思います。
「敵を作るな。味方を作れ」
その方が、もっとよくなるんではないんでしょうか。

だからこそ、みんなで、自分のできる範囲で、いろいろよくしていきましょう。
私も、いろいろ頑張りたいと思います。